演劇企画室Vektor〜Buck Up Party Vektor〜 |
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【助成】 財団法人ひろしま文化振興財団 |
終了しました 演劇企画室ベクトル十周年記念公演 『紙屋悦子の青春』 (作/松田 正隆(マレビトの会) 演出/山口 望)
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−昭和二十年、春、人生を選んだ− 現代。 九州のどこか。 病院の屋上。 老夫婦。 人生の終わりも近い。 二人は回想する。 太平洋戦争末期。 鹿児島のある街。 ここ紙屋家では国鉄で働く紙屋悦子、 兄の安忠、その妻で悦子の親友でもある ふさの三人が寄り添うように暮らしていた。 ある日、安忠は悦子に縁談を持ってきた。 相手は、永与という海軍少尉だった。 実は悦子には、 思いを寄せる明石という男がいたが、 軍の同僚である永与にこの見合いをすすめたのは明石。 そして明石も見合いには同席するらしい。 それぞれに思惑を秘めつつ、 とにかくお見合いは始まった。 |
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【作品解説】 「紙屋悦子の青春」の初演は1992年。 その当時演劇界で注目されていた「京都派」の旗手であった松田正隆の書き下ろし作品として、 主宰する劇団「時空劇場」により上演された。 自身のルーツに材を取り全編九州弁で展開される本作品は、 若手とは思えない老練さとウエルメイドな作風が高い評価を受け、 数年後、松田は岸田戯曲賞を皮切りに国内の主要な演劇賞を立て続けに受賞。 名実ともに日本を代表する演劇人の一人となり、現在は「マレビトの会」を立ち上げ、新境地を切り開いている。 また「戦争レクイエム三部作」等で世界的評価も高い巨匠、黒木和雄監督により2006年、 原田知世、永瀬正敏主演で映画化された。 そしてこれが黒木の遺作となった。 |
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【クニのカタ 命のカタチ 仕合わせのカタチ】 このクニは「神の国」だと人は言う。 「普通の国」では無い、とも言う(普通とは何じゃい?)。 今度は「美しい国」にするそうだ。 これらは「定説」であるらしい。 はたまた、盟友を自任する某国官僚は「ショウ・ザ・フラッグ!」とお節介を焼く。 それぞれの義に依って立つ者にはそれぞれの理もあろう。受容はしかねるが。 太古の昔から、連綿と続く死の風景。ヒトの歴史は死の歴史ともいえる。 では、その死に方について。 死の要因として考えられるものには、純粋に自然的なものは少なく、(個々の人間が抱える状況性と死に至る経緯とを つぶさに見れば)多くの死は、社会機構という巨大な歯車から逃れられない。 ましてや軍事行動などという参与する者の生命価値の著しい軽視を前提とした武装機構に組み込まれる場合、 自然な死というものは存在し得ない。 かつてこのクニにはただ生きる事、それ自体がとても難しい時代があった。 この時代における「死」は、死そのものの厳粛さに比べてあまりにもあっけなく、理不尽に決定されていたのではないか。 たとえ個人の内発的動機や自由意志によったという尊厳ある死の類も、はたして体制と無縁であっただろうか。 「殉死を最高の名誉とする」という国家による暗黙の、揺ぎ無い規範が前提として提示されていたが故の、 その帰結としての死であったはずだ。 南方での戦死者の大部分は餓死と病死だった。一兵卒は敵兵に殺されるのではない。 (自国をも含む)「軍」というシステムに殺されるのだ。 このクニがどんな地平に行き着くとしても、わが子を戦場に送り込むような真似だけはすまい(子ども。まだ、いませんが) あの当時、進んで死にゆく道を選ばざるを得なかった人達に思いを馳せる。 心にまで枷を嵌められ、思うままに生きられなかった短い一生。祝福された人生もあった筈なのに。 翻って「今」を鑑みる。現代は、「わりとむずかしい時代」らしい。 残虐な殺人事件と自殺者の多さ、がその兆候であるそうだ。 自由度が高いからと言って必ずしも幸福ではないのはご存知の通り。 たとえばもしも、大切な人とのつながりの中に、一瞬のささやかな幸福の中に、 永遠の自由を見つける生き方もあるとすれば―。そうなって初めて、仕合わせと不仕合わせは等価なのだろう。 そして、と死も。 どこか遠くにある救済を求めるのも良いけれど。まずは、己の心一つから。 「もう、救われている」と思えば、世界は楽園になる筈だ。多分。 ところで。紙屋悦子なる人物は実在する。だがこの物語は事実ではなく真実の物語である。 −演出 山口望− |
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